2003.3.8-9 鹿児島・鴨池・桜島の旅

昨年の天皇杯「幻の」4回戦の会場、鹿児島・鴨池での試合がこんなにすぐに実現するとは思わなかった。2003年の最初の公式戦がこんなにも遠いところで行われるとは。しかし、仕事の方では大忙しの2003年において行くことが可能な数少ない遠征、これを逃したら次はいつ行けるか分からない。ということで少々無理してでも行ってしまえ。ってことで1泊2日での鹿児島遠征が実現した。

今回は、羽田−鹿児島の往復の飛行機と鹿児島での宿泊がセットになったものを近畿日本ツーリストにて手配。3年前の大分と同様に団体扱いでの遠征となった。


3月8日(土)

まずはモノレールにて羽田空港まで。多くのレッズサポを乗せた全日空機にて鹿児島空港へ。 西鹿児島駅 空港に着きバス乗り場。タイミング良くちょうど鴨池港行きのバスの出発時刻。これに乗り一路鹿児島市内へ。バスの中は当然のようにレッズサポが非常に多い。一瞬、浦和駅から駒場へのシャトルバスと見間違えるかのような状態。そんな中バスは西鹿児島駅を通過し、鴨池への最寄りバス停「与次郎1丁目」にて下車。

やっと着いた鴨池は非常にのどかな雰囲気。レッズサポが占拠するアウェイ側ゴール裏にも地元の小学生が入ってきて芝生の上でサッカーをしているような雰囲気。試合前には鹿児島市長が出てきて挨拶。それにしても、「浦和ダイヤモンドレッズ」って.....、レッズサポからはブーイングというより失笑。

ホテルから見た桜島 「あけましておめでとう」で始まった2003年の初戦も、応援空しく敗戦。とはいえ、まだまだナビスコ初戦、今年も頑張っていきましょう。そんなわけで、そのままの足で本日泊まる予定の「サンロイヤルホテル」まで。サンロイヤルホテルは鹿児島でキャンプを行っている「ロッテ」や「ジュビロ」が宿泊していることで知られているホテルで、これまでいろいろなところに遠征しているが、これまでの中では一番よいホテルだったのではないでしょうか。

乗車した列車・バス

  1. 東北線
    大宮 〜 上野
  2. 山手線
    上野 〜 浜松町
  3. 東京モノレール
    浜松町 〜 羽田空港
  4. 全日空 621便
    羽田空港 9:30 〜 鹿児島空港 11:20
  5. 南国交通バス
    鹿児島空港 11:50 〜 与次郎1丁目 12:50

3月9日(日)

桜島フェリー 今日は昨日の試合のことはすっかり忘れて終日鹿児島市内観光。そんな1日であるが、鹿児島駅周辺は不発弾処理のため午前中は一時立ち入り禁止。そのため午前中は本土を離れて桜島へ。そのため桜島フェリーにて桜島まで。桜島港近くの遊歩道へを散策。溶岩がむき出しになっている中にできた遊歩道で、昔、三宅島で見たような風景が続く。このまま桜島1周ドライブというのもおもしろかったのだが、今日の夕方の飛行機で帰らなければならないのでそれは断念。不発弾処理が終わる頃を見計らって鹿児島市内に帰る。 桜島

鹿児島市内では、市電や市バスの1日乗車券にて移動。鹿児島といえば忘れてはいけないのが、明治維新で活躍した西郷隆盛。そんな西郷隆盛の銅像を町の真ん中で見つけながら、西鹿児島駅近くの「維新ふるさと館」へ。地下のホールでは、西郷隆盛や大久保利通のロボットが鹿児島弁で話すドラマなどを上映していて、なかなか楽しめるところである。そのほか、鹿児島県歴史資料センター黎明館というところは、明治維新だけでなく、鹿児島の古代から現在までの歴史を紹介しており、この手の歴史好きには非常に楽しめるところかも。 西郷隆盛像

かつての「ブルートレイン」はやぶさ号の終点として有名だった西鹿児島駅。5年前にこのはやぶさ号に乗ったときにはすでに西鹿児島行ではなく熊本行になってしまっていたが。その西鹿児島駅にやっとやってきました。しかしやってきたこの駅もかつて雑誌などでみた駅舎ではなく、新幹線開業を前に全面改装中。建設中の新幹線ホームが最上階にある新しい駅舎に変わってました。そんな西鹿児島駅の写真は昨日の欄を参照。

市電 1泊2日で慌ただしかった鹿児島遠征はこんな感じであっという間にその行程を終了。天文館で休憩後、高速バスで一路鹿児島空港へ。最終の全日空羽田行で羽田空港に帰り、そのままバスでさいたま新都心まで。これで私の鹿児島遠征も無事に終了。

乗車した列車・バス

  1. 鹿児島市営バス・市電
    鹿児島市内各所
  2. 桜島フェリー
  3. 南国交通バス
    天文館 15:30 〜 鹿児島空港 16:30
  4. 全日空 630便
    鹿児島空港 19:35 〜 羽田空港 21:20
  5. 京急バス
    羽田空港 21:40 〜 さいたま新都心 22:30

まとめ

2年前の世界水泳福岡以来の九州。鹿児島へは初上陸。多忙が予想される2003年、はたしてどれだけの遠征が出来るが全く未知数なのだが、少しでも行ける限りは遠征してみたいと思います。


written by K.TAKA